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世界史点取りブログ

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アッバース朝についての大まかな流れ

2006/12/25(Mon)13:24





アッバース朝は、750年から1258年まで続いた、バグダードを首都とした王朝である。


イラン東部のホラサーン地方で起こったウマイヤ朝打倒運動の中心人物であったアブー=アルアッバースが建てた。
彼はスンニ派だった。そのため、初め打倒運動に協力してくれたシーア派を、後に弾圧することとなる。

751年にはタラス河畔の戦い軍に圧勝。このとき製紙法が西伝した。

第二代マンスールは、首都バグダードを建設し、アラブ人第一主義を廃止した。その内容として、アラブ人ムスリムにもハラージュを課し、マワーリーにはジズヤを廃止したことが挙げられる。
この時代にシーア派弾圧が本格的に始まり、特に過激派のイスマーイール派はその影響を大きく受けた。
官僚にはイラン人を採用した。


第五代ハールーン=アッラシードの時代がアッバース朝の最盛期。

第七代マームーンは、バイト=アル=ヒクマと呼ばれる施設をバグダードにつくり、そこでギリシア語文献の翻訳をさせた。これによってイスラーム文明は大きく進歩を遂げる。


トルコ人軍人奴隷のマムルークを採用すると、その横行が始まり、さらには946年ブライフ朝がバグダードに入場すると、アッバース朝の権力は事実上大きく失われた。


ついに1258年フラグ率いるモンゴル軍がバグダードに侵入すると、そこで王家は殺され、アッバース朝は滅亡した。

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