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2025/05/01(Thu)18:02
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2006/12/25(Mon)13:24
アッバース朝は、750年から1258年まで続いた、バグダードを首都とした王朝である。
イラン東部のホラサーン地方で起こったウマイヤ朝打倒運動の中心人物であったアブー=アルアッバースが建てた。
彼はスンニ派だった。そのため、初め打倒運動に協力してくれたシーア派を、後に弾圧することとなる。
751年にはタラス河畔の戦いで唐軍に圧勝。このとき製紙法が西伝した。
第二代マンスールは、首都バグダードを建設し、アラブ人第一主義を廃止した。その内容として、アラブ人ムスリムにもハラージュを課し、マワーリーにはジズヤを廃止したことが挙げられる。
この時代にシーア派弾圧が本格的に始まり、特に過激派のイスマーイール派はその影響を大きく受けた。
官僚にはイラン人を採用した。
第五代ハールーン=アッラシードの時代がアッバース朝の最盛期。
第七代マームーンは、バイト=アル=ヒクマと呼ばれる施設をバグダードにつくり、そこでギリシア語文献の翻訳をさせた。これによってイスラーム文明は大きく進歩を遂げる。
トルコ人軍人奴隷のマムルークを採用すると、その横行が始まり、さらには946年にブライフ朝がバグダードに入場すると、アッバース朝の権力は事実上大きく失われた。
ついに1258年、フラグ率いるモンゴル軍がバグダードに侵入すると、そこで王家は殺され、アッバース朝は滅亡した。
No.7|世界史|Comment(0)|Trackback()
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