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2025/05/01(Thu)18:08
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2006/12/22(Fri)00:28
正統カリフ時代とは、ムハンマドの死(632)からウマイヤ朝成立の661年まで、首都メディナにおいて4代のカリフ(ハリーファ)による統治が行われた時代のことである。
カリフとは、ムハンマドの後継者のことで、政治的・社会的な権力を受け継いだウンマの指導者のことである。
初代アブーバクルは、ムハンマドの義父にあたる。
第二代正統カリフのウマルは、ジハード(聖戦)によってビザンツ帝国からシリア・パレスティナを奪い、642年にはニハーヴァンドの戦いでササン朝に圧勝した。この戦いが原因で651年、ササン朝は事実上崩壊した。
第三代正統カリフのウスマーンは、ウマイヤ家の出身。彼の統治時、コーラン(クルアーン)がつくられた。
コーランのなかには六信五行が記されている。六信<アッラー・天使・啓典・来世・預言者・宿命>、五行<信仰告白・巡礼・礼拝・喜捨・断食>。
第四代正統カリフのアリーは、ウマイヤ家のシリア総督のムアーウィアと対立した。アリーの妻はムハンマドの娘ファーティマ。アリーはアリーへの不満を持つ人々が作った分派であるハワーリジュ派によって661年暗殺された。
正統カリフ時代の征服地支配は、イスラーム圏拡大の土台となった。
「コーランか、剣か、貢納か」すなわちムスリムとなるか、あるいは戦うか、あるいは税を納めるかという統治のしかたである。
要地にミスルと呼ばれる軍事都市を建設し、そこにアラブ人を駐留させた。アラブ人にはアターと呼ばれる年金が給付された。
非征服民は、ジズヤという人頭税と、ハラージュという地租を払わなければならなかった。
No.4|世界史|Comment(0)|Trackback()
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