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2025/05/02(Fri)00:18
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一通り世界史の勉強を終えた浪人生を対象にゴロやまとめでライバルに差をつけられる知識を蓄えよう! という目的で管理人のやる気のある限り更新。
2006/12/22(Fri)00:45
ウマイヤ朝とは、661年から750年まで、ダマスクスを首都とした王朝のこと。
アラブ人第一主義であるのが特徴。
カリフは今まで選挙で選ばれていたが、ウマイヤ朝から世襲カリフ制となった。
661年、ムアーウィアがアリーの暗殺ののちに建てた。
ウマイヤ朝から、代々のカリフを正統と認める多数派のスンニ(スンナ)派と、アリーとその子孫のみしかカリフとして認めない少数派のシーア派の二大分派が誕生した。
ウマイヤ朝の時代、イスラム王朝として最大の版図を実現。
中央アジア・西北インドから、マグリブ地方(現チュニジア・モロッコ・アルジェリア)、イベリア半島にいたる広大な範囲を支配した。
ビザンツ帝国とも争ったが、第1次コンスタンティノープル包囲では、ギリシア火によって敗北。第2次コンスタンティノープル包囲では、レオン3世率いる軍隊によって撤退させられた。
フランク王国とも争い、ピレネー山脈を越えて、732年、トゥール・ポワティエ間の戦いが起こった。カール=マルテル率いる軍隊に完敗。ヨーロッパ支配はならなかった。
この時期に、ヨーロッパとアジアの境界線が生まれたという説が多数である。
東ローマ帝国への攻撃失敗や、非アラブ人イスラム改宗者(マワーリー)や、シーア派の不満によって、ウマイヤ朝は次第に傾いていき、ついにアブー=アルアッバースによって滅ぼされた。
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2006/12/22(Fri)00:28
正統カリフ時代とは、ムハンマドの死(632)からウマイヤ朝成立の661年まで、首都メディナにおいて4代のカリフ(ハリーファ)による統治が行われた時代のことである。
カリフとは、ムハンマドの後継者のことで、政治的・社会的な権力を受け継いだウンマの指導者のことである。
初代アブーバクルは、ムハンマドの義父にあたる。
第二代正統カリフのウマルは、ジハード(聖戦)によってビザンツ帝国からシリア・パレスティナを奪い、642年にはニハーヴァンドの戦いでササン朝に圧勝した。この戦いが原因で651年、ササン朝は事実上崩壊した。
第三代正統カリフのウスマーンは、ウマイヤ家の出身。彼の統治時、コーラン(クルアーン)がつくられた。
コーランのなかには六信五行が記されている。六信<アッラー・天使・啓典・来世・預言者・宿命>、五行<信仰告白・巡礼・礼拝・喜捨・断食>。
第四代正統カリフのアリーは、ウマイヤ家のシリア総督のムアーウィアと対立した。アリーの妻はムハンマドの娘ファーティマ。アリーはアリーへの不満を持つ人々が作った分派であるハワーリジュ派によって661年暗殺された。
正統カリフ時代の征服地支配は、イスラーム圏拡大の土台となった。
「コーランか、剣か、貢納か」すなわちムスリムとなるか、あるいは戦うか、あるいは税を納めるかという統治のしかたである。
要地にミスルと呼ばれる軍事都市を建設し、そこにアラブ人を駐留させた。アラブ人にはアターと呼ばれる年金が給付された。
非征服民は、ジズヤという人頭税と、ハラージュという地租を払わなければならなかった。
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2006/12/14(Thu)23:50
使う単語
サータヴァーハナ朝
ベドウィン
ヒジャーズ地方
メッカ
メディナ
クライシュ族
ムハンマド
カーバ神殿
ユダヤ教
キリスト教
アッラー
ウラマー
ヒジュラ
622年
630年
ウンマ
ジンミー
632
正統カリフ時代
アラビア半島では、1世紀から6世紀にかけて、ベドウィン族と呼ばれるセム系のアラブ人が隊商を行っていた。サータヴァーハナ朝との中継貿易で栄えていた。イエメンでは、アラビア半島で珍しく農耕が可能であり、サバー王国といった古代王朝が成立した。
6世紀になり、ビザンツ帝国とササン朝の抗争が起こり、メッカやメディナといったヒジャーズ地方が新しい貿易路として発達した。これによって商業貴族が富を独占し始めた。なかでも裕福だったのがクライシュ族である。メッカを支配していたクライシュ族であるが、メッカにあったカーバ神殿は多神教の神殿であった。
クライシュ族のハーシム家に生まれたムハンマドは、お告げを受け、預言者としてイスラム教を創始した。イスラム教はアッラーを唯一神とする一神教で、同じく一神教のユダヤ教やキリスト教から大きな影響を受けている。後に、ユダヤ教徒やキリスト教徒は啓典の民として尊重されている。
アッラーの前では人は皆平等であり、その思想のため僧侶がいないのが特徴である。そのため、イスラム教の神学者は僧侶でなく、ウラマーと呼ばれる人たちとなった。
622年、メッカで迫害をうけていたクライシュ族による迫害を受けていたムハンマドは、メディナへ逃亡し、ここで再起を図った。これをヒジュラ(聖遷)という。
630年、再びメッカに押し入り征服、カーバ神殿に入ると偶像を悉く壊した。これはイスラム教の偶像崇拝禁止という掟があるからである。
このとき組織したのがウンマと呼ばれるものである。イスラム教徒の共同体のことである。
632年、ムハンマドが死去すると、正統カリフ時代が始まる。
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